代表挨拶

しまばら薬局のホームページをご覧いただき誠にありがとうご ざいます。「島原薬品合資会社しまばら薬局」代表 織田堅一 郎です。しまばら薬局4代目として、主に柏野店において漢方 相談を行っています。
私自身、「人間は幸せになるために生まれてきた」との信念を 持っています。そして、「人生、せっかくなら楽しまなきゃ損 でしょ~!」的な思いも持っています。
「幸せになる」「楽しむ」ことに「健康であること」ってとっ ても重要な要素だと思いませんか?爽快な心と爽快な体で「幸 せ」を、「楽しさ」を感じるって、とっても素敵でワクワクす ることだと思います。頭が痛い、お腹が痛い、膝が痛い、腰が 痛い、~病で今日も通院、明日も通院...、これでは本当に幸せ や楽しさを感じられないのではないでしょうか?
島原薬品合資会社
しまばら薬局
代表社員 織田堅一郎

【略歴】

 

【モットー】

1972年 島原の地で生まれる 「人生を楽しもう!」
1990年 長崎県立島原高等学校卒業 「人間は幸せになるために生まれてきた」
1994年 長崎大学薬学部薬学科卒業
1995年 島原薬品合資会社入社 「治るのが普通」
  しまばら薬局柏野店管理薬剤師に就任
2021年 島原薬品合資会社代表社員に就任

【私の思い...】

以下の文章は、私の今の思いに至った経緯です。長文ではありますが、お読みいただけれ ば少しですが私自身の人となりがお分かりいただけるかと思います 。

私は1972年(昭和47年)1月25日に、島原の「山崎産婦人科(当時は蛭子町辺りにあった ようです)」で生まれました。小さい頃は、とても大人しい少年で、いなくなったと思っ たら土をほじくり返して虫を探していたり一人で遊ぶことが多かったようです。じつは私 の顔の右側には幼少期から“太田母斑”という痣があり、小学校、中学校と思春期になるに つれて、それが心の負担になっていったようです(でも、友達はいっぱいできました。そ の友達とは今でもお付き合いがあります)。そのせいか、人を見た目で判断することは嫌 いです(女性は美人が好きですが...(^^;)。
高校生の時に、その痣をドライアイスで焼く治療法を行い、少し痣が目立たなくなりまし たが、今では「そんなことをする必要はなかったな~」と思えます。人は持って生まれた もので勝負するものだと考えるようになりました。
高校卒業後は、県内の大学(長崎大学)の薬学部に進学し、ある意味「怠惰な学生生 活」を送っていました。学費や生活費を工面してくれる両親には全く感謝せず、ただ自 分の学生生活を楽しむことだけを考えていたと思います。授業や実験も「やっつけ仕 事」的にこなしていく感じで、「卒業したら、社会のためにこのようなことをしよう。 家のためにこれだけ頑張ろう」などという殊勝な心掛けは一切なかったと思います 。
大学を卒業後、大阪の企業(ドラッグストア)に就職しました。
なぜ大阪かというと、その当時、実家のしまばら薬局は某中堅メーカーとの取引金額が 多く、私の父が「息子の修業のために、どこか良い企業はないか?」とそのメーカー担 当者に相談したのが切っ掛けだと思われます。

大阪の中心地に数店舗を構えるドラッグストアでしたが、「相談型・相談重視型」と メーカーの間では認識があったのでしょう。その当時は、薬業会内で「今からは『相 談』をしっかりやっていくお店が生き残っていくだろう」と囁かれ始めた頃なので、 ちょうど良かったのではと思います。
しかし、その当時やっていた「相談」とは「お客様の症状をしっかりと聞いて、『化学 薬品系のお薬』をお奨めする」こと...、今考えると「本当にお客様の『健康』のために なっていたのか?」と疑問が残ります。それでも 色々なことを教えていただきました! 当時の店長・先輩方には本当に感謝しています。正直、「もうしばらく大阪でやってみ たい」と思ったりもしました。しかし、父が新店舗を出すのを切っ掛けに、島原に戻る ことになります。
(阪神大震災も、この時経験することになりました)

1年半ほど、大阪で修業させていただき、平成7年(1995年)に島原の地に戻り、「しま ばら薬局柏野店」の管理薬剤師として働きはじめました。なんせその当時、島原は“バブ ル景気”時代!(その時すでにバブルは弾けてましたが...)「安売れ!数売れ!」の雰囲 気バリバリで、トイレットペーパー、ティッシュ、箱洗剤を店の前に山ほど積み上げ、 「いらっしゃい!いらっしゃい!安いよ安いよ!!」の掛け声とともに、朝から晩まで 荷物出し...忙しくはありましたが...。
そんな中、前述のとおり特定のしっかりした目標もなく、ただ日々を過ごすだけの私で したので上手く社員の方々とのコミュニケーションをとることができず、社内が険悪な ムードになることも度々でした。しまばら薬局で働きだした当初、私は管理薬剤師とし て店舗に入り、店長として別の方が頑張られていました。その店長とのコミュニケー ションも上手くいかず、大変な苦労をおかけしたと思います(その方からは色々な勉強 をさせていただきました)。
その後、人の入れ替わりなどもあり、店長兼管理薬剤師として働いていましたが、段々 と「こんなんで本当に『お客様の健康生活のお手伝い』できるのか?」と疑問を感じる ようになりました。当時は風邪薬といったら「ル〇」や「パブ〇ン」、胃薬といったら 「三〇胃腸薬」や「中〇胃腸薬」などの所謂「新薬(化学薬品系の薬)」を販売してい て、それが「普通」でした。今の様に、「体質強化」を考え、漢方薬やサプリメントを 使うようなことはしていなかったのです。
そんな時、ある漢方メーカーさんの勉強会に参加して、「あっ、こんな面白いことがあ るんだ!」という気づきがありました。今考えると、「健康な体をつくることが大切な んだな」と考える始まりだったと思います(その漢方メーカーさんとは、今でもしっか りとしたお付き合いをさせていただいています)。
もともと「漢方」や「生薬」など、「なんとなく怪しい、神秘的なもの」に興味がある 方だったので、ドンドンそちらの方向にシフトしていきました(まあ、本当は怪しくな んてないんですが...)。
じつは私自身、「調剤業務」に一度も勤務したことがありません。生粋の「OTC(オー バー・ザ・カウンター)相談型一般用医薬品販売職人」です。世間(業界)一般的に知ら れる「薬剤師」と比べて、ちょっと「異質」だと言われています。今では、薬剤師自身も 「役割の見直し」が進み、国も薬局自体を「相談重視の薬局」としていく政策を推し進め ていますが、20年ほど前(2000年当時)は、ほとんどの薬剤師 の方が「健康相談を受ける」のではなく、「調剤」を仕事の中心としていました。
その後、様々なメーカーさんとお付き合いが始まり、多くの研修会等に出席し、新たな書 籍なども読み込んでいくと、「現代医療の欠点」や「予防接種などの問題」、「食品の問 題」「大気汚染・放射能などの問題」など、現代社会に潜む多くの問題が見えるようにな りました。私たちは「生きている」だけで、多くの「問題」の影響を受けているのです。 それが「心身の健康」に影響を与えないはずがありません。

私は、できるだけ多くの方々に「健康で幸せな人生」を送っていただきたいと思っていま す。最近、少しずつですが「私がやるべきこと(天の使命みたいなもの)」が見えてきた ような気がしています。

しかし、「生きている」だけで、「健康を害される」ものが溢れる現代社会で、本当に 「健康で幸せな人生」を送れるのか...、怒りにも似た感情が込み上げてきます。特に次世 代(私たちの息子・娘、そして孫たち...)が、どのような社会で生きていくことになるの かと、不安と悲しみと悔しさが私の胸を過ります 。
「健康であれば『人生』思いっきり楽しめま~す!」
「健康な心身を一緒に作りましょう~!」
「次世代に良い未来を残してやりましょう~!」
、そう叫びたいですね。

是非一度ご来店ください、私たちが持っている商品・スキル・考え方を思いっきり伝えた いと思います。
当店には、「本当の健康をとりもどす最高の商材」が揃っています! このホームページに辿り着き、そしてこの文章を読んでいただいたことは「ご縁」の始まりだと思います。
ご興味が湧いた方は、ぜひご連絡くださいませ。

私自身、「まずは地元島原から」と強く思っています。島原が、日本で一番「健康で幸せ な人」が多い場所になりますように...。

令和4年(2022年)2月吉日 店舗にて